小笠原小説:ボニン・ブルー
4日目 島巡り
バイクにまたがり、風を切って走る。
今日は、ツアーに参加せず、父島を回ることにした。 バイクのカゴにはフィンやシュノーケルの3点セット。短パンとTシャツを脱げばすぐに飛び込めるように海パンも履いている。海岸線に沿って、時計の逆回りに走る。
昨夜、島に6回も来ているという男性に教えてもらった道を辿り、製氷海岸へ。 防波堤を乗り越え、早速海中へ。
枝珊瑚がすごい。岸近くまでびっしり。気をつけないと怪我しそうだ。 注意しながら沖へ出る。 5mも進むと、急に深くなる。斜面にも枝珊瑚がびっしり。熱帯魚の群れが珊瑚を縫う様に泳ぎ回る。
次に向かったのは境浦だ。
海岸線を見下ろす道路を走っていると、見晴らしの良いところにでた。下には入り江があり、入り江には赤茶化て、朽ち果てた船の残骸がところどころを海面に出し沈んでいる。
入り江に続く下り坂をバイクで下り、パーゴラ横にバイクを停める。
海パン姿になって3点セットを身につけたら、沈船めざして泳ぎ出す。 ここは、砂の海底が続く。 沈船の周りは、5~10m近くの水深があり、大小様々な海の生物が見られる。
息を大きく吸い込み、海底まで一気に潜る。イワシの群れが銀色に輝きながら道をあける。 海底で驚いたエイが砂の中から突如現れて、泳ぎながら遠ざかって行く。 イカの群れが戦闘機の編隊のように通り過ぎて行く。 船の残骸にはイソギンチャクが棲息し、クマノミが泳ぐ。珊瑚の隙間には赤い小さな海老や、水色をしたウミウシがのそりのそりと動く。
1mほどのサメが2頭、横切って行く。 背びれの先が白いホワイトチップという大人しい種類のサメだ。 ちょっかい出さなければ、襲われることもない。
次に向かったのは、森の喫茶店。
扇浦に沿ってぐるっとバイクで走り、三叉路を山に向かって登って行く。 亜熱帯植物センターに入って行くと、途中に森の喫茶店の看板。 看板の脇にバイクを停めて、道を上がって行く。
途中で、パッションジュースを注文。「この道を上がって、お好きな席でお待ちください」と主人。 木立の中に配されたテーブルはお互いの存在を気遣うことなく、楽しめる様にレイアウトされている。
一番上まで登り切ると、見晴らしの良い台地に長いテーブルとベンチがあった。
暑かったが、そこに座りジュースを待つ。
主人はジュースをテーブルに置くと、世間話を始めた。
この島は人と自然が大好きな人が多い島なんだな。 出会う人、すれ違う人。お店の人、お客さん。人と人が顔をあわせたら、自然に会話が生まれる。 都会じゃありえない光景。
「人が人として人と出会える場所だ。」
そう言うと、主人は嬉しそうに顔をほころばせ、ちょっとこっちへおいでと、私を連れ出した。
そこには緑色の玉のような実をつけたパッション棚があった。主人は少し赤くなったのを1個もぎると、ポケットからナイフを取り出し、パッションフルーツを二つに割って、私に差し出した。
「嬉しいこと言ってくれたから、食ってってよ」
割れたパッションフルーツに指を突っ込み、種を殻からはがすと、実と一緒に口へと流し込む。 甘酸っぱい味が口に広がる。美味しい。そこらじゅうが、パッションの香りに包まれて、まさに南国を大実感だ。
帰り際に主人が教えてくれたトーチカ跡へ向かった。
小港海岸に向かう道を途中で薮をかき分け獣道のような細い道を辿る。
不自然に人工物のような穴が見えた。 恐る恐る中へ。ここは大平洋戦争で使われたトーチカだ。ここに大砲を据えて大海原をこえて来る艦隊を攻撃したんだ。外洋側まで抜けるとそこには、紺碧の海が音もなく広がっていた。 なにかが、私に話し掛けてくるようだ。それは自然が人間の悲劇を嘆き悲しみ、二度と起こしてくれるなよと、心に直接訴えかけてくる、そんな声だ。
大海原に散った尊い命に手を合わせ、トーチカを後にした。
バイクは島の西側を離れ東側へ。
途中、わしっこというギャラリーに立ち寄った。 和紙で作った魚が土産として人気だと聞いていた。 ユウゼンを1尾買った。「島に来るごとに1尾ずつ買って行かれるお客さまがいらっしゃるんですよ」と教えてくれた。
ギャラリーには他にも土産を買いに来ているお客さんがいた。その中に、おがまるで隣に寝ていた男性がいた。狭い島だからすぐに再会するんだねと、しばらく会話をしたのち、再び出発。
山道を走っていると、バイクと自転車が数台停められているのを発見した。そこから、山の中へと道が続いている。分け入ってみることにする。 シダが生い茂る道を歩いて進むと、突如広がる空。
そこは中央山展望台。タオルを頭に巻いた若者が、展望台から遠くを見ている。
「この先にハワイがあるらしいですよ」
「こんにちわ、へぇ、見えるんですか?」
「こんにちわ、見えないですよ」
展望台の周りには、その方角に何があるのかが書かれていた。彼はそれを見て言っていたのだ。 真っ黒に日焼けした彼は自転車で一周している。島には私の前のおがまるで来ている。2航海の予定だったけど、3航海するつもりだと言って遠くを見た。
3航海というと、18日間。私なら会社クビだなと、そしてそれも悪くないなと、私も遠くを見つめて思った。
自転車の彼にさよならして、バイクで初寝浦展望台。
そこから見下ろす初寝浦は、カレンダーの写真でいつか見た気がするような素晴らしい景色だった。 私はそこで、ただただ何も考えず海だけを見つめていた。
昨夜訪れたウェザーを再び訪れた。ウェザーの方からウクレレが聞こえる。 ウェザーにはおがまるでウクレレを弾いていた女性が、島の女性と二人でウクレレの合奏をしていた。 邪魔をしないように近付き腰をおろし、海をながめた。
ウクレレの音と風、南国の香り。
夕陽が海に沈みつつある。気が付くと、ウェザーには多くの仲間が集まってきていた。 みな、黙って夕陽を眺めていた。 ウクレレの音だけが聞こえていた。
夕陽が水平線に沈みきるかきらないかの時、奇跡が起こった。
一瞬だけ、空が緑色に輝いたんだ。
年に数度見られるグリーンフラッシュという現象らしい。 感動に涙を流している人もいた。
その夜、宿のさよならパーティに参加して、遅くまでテラスで飲んで騒いだ。 明日はおがまるが東京に向かって出航する。私もそれに乗る。 隣の席の男性が言った
「帰るのは大変だけど、ここに残るのは簡単だよ。明日、乗らなきゃいいだけだもん」
向かいに座った女性が言った
「仕事と小笠原とどっちが大事やと思ってんの?仕事でこんな気持ち味わえる?」
いや~、みんなで私を誘惑している。島に残れと。 満点の星空を黒く切り取る島陰も、島に残れと誘惑している。
帰らなきゃいけないから、いつまでも居れないから、この島がありがたいんだ。 この島に来るのが大変だから、この島が天国なんだ。 また来ればいい。そう自分に言い聞かせる。
テラスの外から、声が聞こえた。
「今、浜でウミガメが産卵してますよ」
明日、帰らなければいけない私、同じ境遇の仲間、島にもう少し残る仲間は、これでもかと島を満喫するために深夜の真っ暗な浜に向かった。
★この日記風小説は、事実を元にしたフィクションです。写真の人物はストーリーとは無関係です。★
★小笠原の写真は、「旅の風景」にも掲載しています。そちらもお楽しみください。★